思想中級:リヴァイアサン

『リヴァイアサン』を読むと、ホッブズが生きた17世紀当時の社会情勢が、まるで立体的な絵画のように浮かび上がってきます。その時代は、絶対王政の揺らぎや宗教戦争の疲弊、封建制度の解体と新たな政治秩序の模索が、いずれも時間をかけてゆっくりと進行していました。情報伝達は馬車や徒歩、手紙といった物理的な手段に限られ、人々は自分たちの村や都市、領邦を単位に、ある程度閉ざされた範囲で世界を理解し、そこに張り巡らされた因習や権威を当然の前提としていました。強力な統治者を想定したホッブズの国家像は、こうした時代背景の中で生まれたものであり、それは社会の安全と秩序を確保するために、いかに強固な政治的枠組みが必要とされていたかを物語ります。人々が暴力や不信、混乱に満ちた自然状態から抜け出すためには、絶対的な統治原理を仮定することが筋道立っていると、当時は多くの知識人が考えたわけです。

しかし私たちがこの『リヴァイアサン』を今読むとき、それは単なる過去への旅にとどまらず、17世紀と現代とのあまりに大きなギャップをまざまざと感じさせてくれます。いまや権威は必ずしも一元的な主君に集約されず、民主的なプロセスやグローバルな合意形成が政治の正統性を支え、情報はインターネットを介して一瞬で地球上を駆け巡り、経済は複雑な国際分業構造と超高速の金融取引によって成立し、人々は多様な価値観やアイデンティティを日常的に横断するようになっています。ホッブズの時代には、国家による秩序維持が難題だったのに対し、いまや私たちはネットワーク化されたコミュニティやAI支援の意思決定、非中央集権的なブロックチェーンシステムなど、当時からすればまるでSFのような手法によって社会を支えようとしています。こうした比較をすると、わずか数百年の間に人類が経験した社会的・政治的な変動は想像を絶するほど大きいことが理解できます。

そして、この比較が私たちに与える最大の洞察は、現在から未来に向けた社会変化の可能性をイメージできる点にあります。かつて数百年をかけて達成された変化が、現代では十数年、あるいはわずか数年単位で起こりうる時代が到来しているのです。たとえば、ホッブズが問題にした「国家の正統性」や「人々の相互不信の克服」といったテーマは、AIをはじめとした先端技術によって再定義されつつあります。かつては信頼すべき王権や安定した制度的枠組みを確立するまでに何世代にも及ぶ思想的・制度的試行錯誤が必要でしたが、今後はAIによる自動運用やシミュレーション、データ駆動型の政策立案、あるいはトークンエコノミーや分散型自治組織(DAO)のような仕組みを通して、数年以内に世界的なルール形成が行われる可能性すらあります。こうした激変は、当然ながら過去と全く同じ歴史の繰り返しではありませんが、歴史上に刻まれた「秩序が生まれるまでの格闘」を振り返れば、変動の大きさや速度、そして新たな合意形成の難しさといった根本的要素は、時代を超えて共鳴しています。

言い換えれば、『リヴァイアサン』は私たちに、ホッブズの時代から現代までの巨大な差分を提示することで、「社会がどれほど様相を変えうるか」という問いに直面させるのです。その差分は私たちに、一見固定的に思える政治的・社会的秩序も、実は極めて流動的であり、条件さえ整えばあっという間に塗り替えられることを教えてくれます。17世紀当時の主権理論や安全確保の論理は、何世紀も後に大幅に異なる形をとってあらわれ、いま再びテクノロジーの急速な進歩によって変容を迫られているのです。この過去と現在の間に生じた圧倒的な差分を理解するなら、未来との間に横たわる差分は、もはや我々が予測する以上のスピードとスケールで現れるかもしれません。かつては緩やかに変化してきた社会の形も、今後はほとんど瞬時に書き換えられるような激流の中に投げ込まれる可能性があります。新しい倫理的基準やガバナンスの仕組みが求められ、それを確立するまでの猶予が従来より圧倒的に短くなる中で、私たちは過去から現在へと至る進化を参照することで、その先に広がる地平をある程度予見できるようになるのです。

このように、『リヴァイアサン』には、ホッブズが生きた時代の状況が丁寧に描かれているために、私たちは現代と過去を比較し、その膨大な差分から社会変革の本質を掘り出すことができます。そしてこの差分理解は、さらに現在から未来を展望する際にも有効です。時間軸をずらしながら、社会のあり方がいかに激しく揺れ動き、変容してきたかを再認識すれば、AI時代がもたらすさらなる加速的変化を前にしても、ただ未知への恐怖や期待に踊らされるのではなく、変化というものが本来内包しているダイナミックな特性を冷静にとらえ、その中で適応的かつ創造的に立ち回るヒントが見えてくるのです。歴史的スケールの変化を前に、人類は常に新しい秩序を紡ぎ出してきましたが、そのプロセスは時に血と苦悩を伴い、長い年月を経てようやく花開くものでした。ところが、これからは花が咲くまでの年月が極端に圧縮される可能性があるということ、そしてそこで必要とされる合意形成や規範づくり、知的・倫理的試行錯誤を、我々ははるかに迅速に行わなければならないということを、ホッブズの時代から現代までの差分が雄弁に物語っているのです。

- Advertisement -spot_img

More articles

返事を書く

あなたのコメントを入力してください。
ここにあなたの名前を入力してください

- Advertisement -spot_img

Latest article